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ヨガと整体のブログ

前回書いたホルストというのは、モンテーニュラテン語の先生でした。この人は、ドイツ人の先生で、フランス語も話せず、モンテーニュの住んでいたペリゴールという地方の方言も当然話せず、したがってモンテーニュとはラテン語でのみ会話していたと言います。

 モンテーニュ父親は肉体的に活発だったようで(性的な意味ではない)、モンテーニュはそんな父親に自分とは似たところが何もないという思いを持っていたようです。

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どのように生きるべきなのか。モンテーニュ自身が悩ましくそれを考えていたという描写はいまのところこの本(”How to live”)ではされていません。著者が、今という時代とモンテーニュが生きた時代を結びつけ、私たちの視点でみても理解できるように、ルネサンスという時代を説明してくれているようです。

たとえば、モンテーニュの父ピエールが彼の息子ミシェル、つまりモンテーニュ本人に施した教育について著者であるSarah Bakewell氏は次のように説明しています。

なぜピエールはそんなことをしたのか。死んだ言語のために親子の間を分かつなどどうかしている、と現代人の大半は考えるだろう。しかしルネサンス期においては、ラテン語の習得は人間的教育の完成形だと思われていた。それは古代の素晴らしい文明への入り口であり、また、学者の多くがラテン語を(で)文章を書いていたルネサンスの時代においては、同時代の良き知識への入り口も、その言語は開いてくれるのだと。

だからこそピエールは、古代人の偉大な魂、そして、同時代における個人的キャリアの成功をも手に入れさせるべく、母語での会話ができないような環境を整えてまで、息子にラテン語を習得させようとしたのだった、と。